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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)19号 判決 1993年6月29日

長野県松本市芳野19番48号

原告

キッセイ薬品工業株式会社

同代表者代表取締役

神澤邦雄

同訴訟代理人弁理士

阿形明

東京都千代田区神田美倉町2番地

被告

三恵薬品株式会社

同代表者代表取締役

石橋任男

北海道勇払郡鵡川町花園町3丁目25番地

被告

有限会社日本医薬品開発研究所

同代表者代表取締役

清水繁夫

同両名訴訟代理人弁理士

山田文雄

山田洋資

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者双方の求めた裁判

1  原告

(1)  特許庁が平成1年審判第8087号事件について平成3年11月21日にした審決を取り消す。

(2)  訴訟費用は被告らの負担とする。

2  被告ら

主文同旨

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

被告らは、名称を「N-(3、4-ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸の製造方法」とする特許第1453201号(昭和58年8月15日特許出願、昭和60年12月11日出願公告、その出願公告の決定謄本送達後の昭和61年10月6日付手続補正書で明細書の記載補正(以下この補正を「本件補正」という。)、昭和63年8月10日設定登録。以下この特許に係る発明を「本件発明」という。)の特許権者であるが、平成元年5月8日原告から本件発明についての無効審判の請求がされ、平成1年審判第8087号として審理された結果、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がされ、その謄本は平成4年1月16日原告に送達された。

2  本件補正前の本件発明の特許請求の範囲

別紙第一の式(1)で示される3、4-ジメトキシ桂皮酸と別紙第一の式(2)で示されるイサト酸無水物を第三級アミンの存在下で反応させることを特徴とする別紙第一の式(3)で示されるN-(3、4ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸の製造方法

3  本件補正後の本件発明の特許請求の範囲

別紙第一の式(1)で示される3、4-ジメトキシ桂皮酸と別紙第一の式(2)で示されるイサト酸無水物を第三級アミンの存在下で反応させた後、酸処理することを特徴とする別紙第一の式(3)で示されるN-(3、4ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸の製造方法

4  審決の理由の要点(本件訴訟の争点に全く関連しない当事者適格に係る部分を除く。)

(Ⅰ) 本件発明の要旨について

(1)  昭和61年10月6日付手続補正書の検討

原告は、同手続補正書による特許請求の範囲の補正は、特許法64条2項により準用される同法126条2項の規定に違反していると主張するので、まずこの点について検討する。

本件補正による特許請求の範囲の補正は、本件補正前の、「3、4-ジメトキシ桂皮酸とイサト酸無水物を第三級アミンの存在下で反応させ」(以下、この反応工程を「第一工程」という。)の反応工程の後に、「酸処理する」工程を付加した点にある。

原告は、酸処理前の反応生成物と、酸処理後の反応生成物とは明らかに異なったものとなるので、上記補正は実質上特許請求の範囲を変更するものである旨主張する。

その理由として、原告は、<1>酸処理を施して得られる本件発明の目的化合物であるN-(3、4-ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸は、審判事件検甲第1号証(以下単に「検甲第1号証」という。審判事件検甲第2号証についても同様。)の写真に示されるように黄色粉末状結晶であるのに対して、酸処理前の生成物は検甲第2号証の写真に示されるように淡黄色ないし淡かっ色のペーストであって、これをどのような手段で精製しても粉末状結晶にはならない点、<2>昭和51年特許出願公開第100086号公報(以下「周知例」という。)に示されるように、イサト酸無水物とアシル化剤とを第三級アミンの存在下で反応させた場合には、ベンゾオキサジン誘導体を生成することが知られている点を示す。

<1>の点についてみると、一般論として有機酸とその第三級アミン塩は、化学的性質等などからみて近似した化合物とみられるであろうが、一般論としては化合物の外観も近似するとはいえないから、検甲第1号証の生成物と検甲第2号証の生成物との外観が大幅に異なるからといって、両化合物が全く構造を異にすることの論拠には直ちになりえない。精製においては化合物は変化しないことを前提として行うのが普通のことであり、検甲第2号証の生成物をいくら精製したとしても、検甲第1号証の生成物に変化するものではないから、外観が変化しないことは当然のことであって、原告の<1>の主張は採用できない。

<2>の点についてみると、周知例には、原告が摘示するように、イサト酸無水物とアシル化剤とをピリジンの存在下25℃ないし150℃で反応させると、二位がアシル化された4H-3、1-ベンゾオキサジン-4-オンを生成することが反応式によって示され(9頁右上欄式Ⅰ)、イサト酸無水物と塩化シンナモイルとをピリジンの存在下で反応させたときに、2-スチリル-4H-3、1-ベンゾオキサジン-4-オンを生成した例(実施例6)友びこのようにして得られるベンゾオキサジン誘導体を酸処理するとN-アシルアントラニル酸に開裂することを示す例(実施例25)が示されている。

しかしながら、上記アシル化剤としては、ハロゲン化アシルやカルボン酸無水物の反応性の高いカルボン酸誘導体が用いられることが周知例には示されているが、前記第一工程で用いられる3、4ジメトキシ桂皮酸自体が用いられることについて示すところは見当たらない。周知例に示す前記方法は、前記第一工程と類似した方法であるとはいえ、反応原料が一部異なるものであるから、前記第一工程での生成物が周知例に示されるベンゾオキサジン誘導体として得られていると直ちにはいえない。原告も周知例をもって主張する点は、本件発明の第一工程による生成物がN-(3、4-ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸の塩とは異なった化合柳の生成が予想されるというだけであって、予想を確信させるに足るそれ以上の主張及び根拠は示していない。

被告らは、前記の第一工程による生成物は、塩の形で存在している本件発明の目的化合物であると主張し、本件特許明細書実施例1の条件により第一工程により生成された生成物(サンプルA)、これを2N塩酸で酸処理して得られる粗結晶(サンプルB)、これをクロロホルムから再結晶した精製物(サンプルC)の各赤外吸収スペクトルを本件訴訟事件における甲第11号証の1(審判事件における乙第1号証の1)、同号証の2(同乙第1号証の2)、同号証の3(同乙第1号証の3)として、原告の市販するリザベン(商品名)より精製したN-(3、4-ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸の標品の赤外吸収スペクトルを甲第11号証の7(審判事件における乙第2号証)として示し、更に同じく実施例2に従って得られたサンプルD(前Aに対応)、サンプルE(前Bに対応)及びサンプルF(前Cに対応)の各赤外吸収スペクトルを甲第11号証の4(審判事件における乙第3号証の1)、同号証の5(同乙第3号証の2)及び同号証の6(同乙第3号証の3)として示し、甲第11号証の1及び4には、カルボキシル基の特性吸収である1690cm-1の吸収が肩として認められ、甲第11号証の2、3、5及び6からみて、酸処理後の粗結晶、精製結晶に進むにつれて1690cm-1の吸収は顕著となり、サンプルC及び同Fの赤外吸収スペクトルは甲第11号証の7に示された標品の赤外吸収スペクトルと一致し、酸処理前後において赤外吸収スペクトルのパターンに大きな差異はないと主張する。

これに対して、原告は、甲第11号証の1、4には、2-オキソ含酸素複素環の特性吸収として知られている1720cm-1付近の吸収が明らかに認められるにもかかわらず、酸処理後の甲第11号証の2及び5においてはいずれもこれが消失しており、これは周知例に示されるベンゾオキサジン-4-オン誘導体の生成及びその酸処理によるN-アシルアントラニル酸への開裂を示唆し、酸処理前後における赤外吸収スペクトルのパターンは単に塩と遊離酸に由来する差異があるだけで、他のパターンは完全に一致すると認められるほど類似しているとはとうてい思われない旨主張する。

しかしながら、前記したように原告は、前記第一工程による生成物が周知例に示されるベンゾオキサジン-4-オン誘導体であることの明確な根拠は示していないので、甲第11号証の1ないし6に対する原告の主張も直ちには採用できない。

そうしてみると、前記第一工程の生成物は、本件特許明細書にその明示はないものの、本件発明の目的化合物の塩と認めざるを得ないものであり、そして、前記補正書に付加された同第一工程に続く「酸処理する」工程は、同塩を遊離酸として本件発明の目的化合物を得るものであって、酸処理により本件補正前の目的化合物であるN-(3、4-ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸は変わるものではなく、酸処理も塩を遊離酸にする適宜に行われる処理方法であって、その工程の付加により、本件補正前の製造方法を実質的に変更するものではなく、第一工程の生成物の塩から遊離酸である本件発明の目的化合物への変換方法の明記を欠いていたものを明記する、不明瞭な記載の釈明にすぎないものであって、同補正は本件補正前の特許請求の範囲を変更する事のとは認められないので、原告が主張する<2>の点は採用できない。

(2)  そうしてみると、本件発明の要旨は、出願公告後に同補正書により補正された本件特許明細書の記載からみて、前記3記載のとおりであると認める。

(Ⅱ) 原告の主張する無効事由

(1)  本件補正は、特許法64条2項により準用される同法126条2項に違反し、同法42条により上記補正がされなかったものとみなされる結果、本件発明は未完成であるので同法29条1項柱書の規定に違反する。

(2)  本件特許明細書中の実施例において、純品〔これは本件発明の目的化合物と異なるN-(2、3-ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸である〕が得られているから発明未完成ではないというのであれば、その場合は実施例で行われている酸処理工程が特許請求の範囲に必須構成事項として記載されていないので、本件特許明細書は特許法36条4項に定める要件を満たしていないことになり、同法123条1項3号の無効事由に該当することになる。

(3)  本件発明は、昭和56年特許出願公告第40710号公報(以下「引用例1」という。)、「ジャーナル・オブ・オーガニック・ケミストリー」24巻1214頁ないし1219頁(1959年9月発行。以下「引用例2」という。)及び「ユスツス・リービッヒス・アナーレン・ヘミ」1976巻487頁ないし495頁(1976年発行。以下「引用例3」という。)に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明することができたものと認められるから、特許法29条2項により特許を受けることができないものであり、その特許は同法123条1項1号により無効とされるべきである。

(Ⅲ) 無効事由についての判断

(1)  無効事由(1)及び(2)について

原告の主張する無効事由(1)及び(2)は、前記手続補正書による特許請求の範囲の補正が違法であることを前提とするものと認められる。しかしながら、同補正は前記Ⅰで述べたように適法であるので、原告の主張する両無効事由は、その前提となる根拠を欠くものであるので、いずれも採用することはできない。

なお、原告は、被告らが酸処理工程自体に格別の意味はないと述べたことに対して、これが事実であるとすれば、本件明細書の特許請求の範囲には、発明の構成に欠くことができない事項以外のものが記載されたことになると主張する。しかしながら、当該酸処理工程は、化学方法において普通必要に応じて適宜に付加される所望工程とみられる程度のことであるとしても、特許請求の範囲の記載として前記したように適法なものとして認められるものである以上、同記載は、本件発明構成の要件として意味を有するものであるから、前記原告の主張は認められない。

(2)  無効事由(3)について

(ⅰ) 引用例について

引用例1には、3、4-ジメトキシケイ皮酸の反応性官能的誘導体とアミノ安息香酸とを反応させてN-(3、4-ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸を製造する方法が記載されている。

引用例2には、イサト酸無水物はアミンの存在下では、イソシアネートすなわち2-イソシアナト安息香酸として挙動することが記載されている。

引用例3には、一般に有機イソシアネートと有機カルボン酸とを反応させると、有機カルボン酸と有機カルバミン酸との無水物を経て、有機カルボン酸アミドが生成することが記載されている。

(ⅱ) 本件発明と引用例との対比、検討

引用例1には、本件発明の目的化合物と同一の化合物の製造方法が記載されているが、同製造方法は、本件発明とは反応原料をいずれも異にする別異の製造方法と認められる。すなわち、引用例1には、3、4-ジメトキシケイ皮酸は記載されているものの、それ自体が反応原料として用いられることは記載されていない。原告が同酸を用いているとして示す実施例3、同10、同12及び同13は、いずれも同酸を反応性官能的誘導体として反応させている。

原告は、引用例1において3、4-ジメトキシケイ皮酸と一方の原料化合物である2-アミノ安息香酸の代りに、イサト酸無水物を第三級アミンの存在下に用いることは、引用例2及び引用例3の記載からみて、当業者ならば容易になし得るものである旨を主張する。

そこで、引用例2の記載を精査すると、イサト酸無水物が2-イソシアナト安息香酸として挙動するのは、アミン類及びナトリウムのメトキシドの存在下であって、該ナミン類としては第一級又は第二級アミンが用いられることは示されているが、本件発明における第三級アミンの存在下においてイソシアネート構造をとりえるかについては、むしろ否定的に記載されている。すなわち引用例2の1217頁右欄反応式下6行ないし10行には、イサト酸無水物とトリエチルアミンとのジオキサン及びピリジン溶液中での-N=C=0の存在を明らかにするための同様の試みでは、検知しうる程度のその存在を証明することができなかったことが記載されている。なお、原告が同所記載に続いてイソシアネート構造を経て反応することが示唆されていると主張する点は、N-メチルイサト酸無水物についてであって、イサト酸無水物についてではないので、同主張は認められない。

そうしてみると、引用例2でイサト酸無水物がイソシアネート構造をとりえるとして示されている条件は、本件発明の第一工程の反応条件と異なるものであって、同第一工程におけるイサト酸無水物がイソシアネート構造を経て反応しているとみることができないので、引用例2は、本件発明の第一工程の反応を示唆しているものとは認められない。そして、本件発明によれば本件明細書に記載のとおりの所期の目的を達し得ることが認められる。

したがって、本件発明は、引用例3を検討するまでもなく、引用例1の記載事項に引用例2及び引用例3の記載事項を組み合わせることによっては、当業者が容易に発明をすることができたものとすることはできない。

(Ⅳ) 以上のとおりであるので、原告が主張する理由及び提出した証拠方法によっては、本件特許を無効とすることはできない。

5  審決を取り消すべき事由

審決が「(Ⅰ)本件発明の要旨について」において原告の主張<1>に対してした認定判断(ただし、結論の部分を除く。)及び原告の主張<2>に対してした認定判断のうち周知例の記載内容に関する部分は認め、引用例1ないし引用例3に審決認定の技術内容が記載されていること、本件発明と引用例1記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであることは認めるが、審決は、原告の主張に対する判断を遺脱し、本件発明の技術内容を誤認して、本件補正が特許請求の範囲を変更するものではないとの誤った判断をし、また、引用例2の技術内容の誤認により本件発明は当業者が容易にすることができたものではないとの誤った判断を導いたから、違法であり、取り消されるべきである。

(1)  取消事由1

審決は、本件補正が特許請求の範囲を変更するものではないと判断したが、この判断は、判断遺脱に基づき、また、本件補正前の本件発明の特許請求の範囲に記載された技術内容を誤認した結果されたもので、審決は違法である。

<1> 審決は、原告の主張に対する重要な判断を遺脱した。

すなわち、原告は、審判手続において、本件補正が実質上特許請求の範囲を変更するものであると主張し、その理由として、(イ)3、4ジメトキシ桂皮酸とイサト酸無水物を第三級アミンの存在下で反応させるという一工程から成る方法を、上記の工程にさらに酸処理という工程を加えて二工程から成る方法に変更するものであること、(ロ)3、4ジメトキシ桂皮酸とイサト酸無水物を第三級アミンの存在下で反応させたときに得られる反応生成物とそれを酸処理して得られる反応生成物とは明らかに異なったものとなることを挙げた。そして、理由(イ)の記載ののち「しかも」の語に引き続いて理由(ロ)を主張したことからも明らかなとおり、理由(イ)が主要なものであり、理由(ロ)はむしろ補足的であった。

ところが、審決は理由(ロ)についてのみ判断を加え、理由(イ)について検討をしていないまま原告の主張は採用できないとしているから、審決は重大な判断を遺脱したものである。

<2> 本件補正前の本件発明は実施不能の発明であったのに、本件補正は、新たな構成要件を付加して実施可能としたもので、明らかに発明の要旨を変更するものである。

すなわち、本件補正前の本件発明の特許請求の範囲に記載された製造方法は、3、4ジメトキシ桂皮酸(以下「A」という。)とイサト酸無水物(以下「B」という。)とを出発原料とし、これらを第三級アミンの存在下で反応させ、目的生成物としてN-(3、4ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸(以下「C」という。)を得る方法であった。これに対し、本件補正後の本件発明の特許請求の範囲に記載された製造方法は、AとBとを第三級アミンの存在下で反応させて、構造確認のされていない化合物Xを作り、これを酸処理して目的生成物としてCを得る方法である。上記の二つの反応を対比すると、出発物質A及びBと目的生成物Cとは同一であるが、前者はAとBとを第三級アミンの存在下で反応させて直接Cを生成させているのに対し、後者はAとBとを第三級アミンの存在下で反応させてまずXを生成させ、次いでこれを酸処理してCを生成させている点で明らかに処理手段を異にしており、両者は製造方法として実質上異なるものというべきである。

なお、XとCとが物質として別異のものであることは、Xの赤外吸収スペクトルとCの赤外線吸収スペクトルから容易に知ることができる。

したがって、AとBとを第三級アミンの存在下で反応させただけでは、Cと異なる物質のXが得られ、Cは得られず、本件補正前の本件発明の特許請求の範囲に記載された構成要件のみでは目的とするCは得られないから、この方法は実施不能の発明といわなければならない。

<3> 審決は、本件補正により付加された酸処理する工程は、目的化合物の塩を遊離酸とするものであるから、本件補正は、本件補正前の製造方法を変更するものではなく、不明瞭な記載の釈明にすぎない、と認定判断している。

しかしながら、AとBとを第三級アミンの存在下で反応させた際にCの塩が生成することについては、出願当初の明細書に記載がなく、また、これを裏付ける証拠、すなわちXがCの塩であることを示す証拠は全く存在しない。それどころか、AとBとを第三級アミンの存在下で反応させた場合には、Cの塩以外の化合物が生成する可能性もあるのである。すなわち、周知例には、Aに対応する塩化シンナモイルとBとを第三級アミンであるピリジンの存在下で反応させた場合に、N-シンナモイルアントラニル酸の塩が生成しないで、それと全く異なった化学構造をもつ化合物2-スチリル-4H-3、1-ベンゾオキサジン-4-オンを生成することが記載されているので、塩化シンモナイルの代りに3、4ジメトキシ桂皮酸とBとを第三級アミンの存在下で反応させた場合に、2-(3、4-ジメトキシスチリル)-4H-3、1-ベンゾオキサジン-4-オンが生成する可能性も十分に考えられる(もっとも、原告も、周知例の記載により、ベンゾオキサジン-4-オン誘導体の生成を積極的に主張するのではなく、単にAとBとを第三級アミンの存在下で反応させた場合にCの塩以外の化合物が生成する可能性があることを主張するものである。)。ところで、この2-(3、4-ジメトキシスチリル)-4H-3、1-ベンゾオキサジン-4-オンも酸処理すれば、Cを生成する。したがって、このような可能性がある以上、被告らがCの塩の生成を積極的に立証すべきである。

なお、被告は、甲第11号証の1ないし6を対比して、あたかもXがCの塩であるかのように主張しているが、Xがベンゾオキサジン-4-オン誘導体の場合も酸処理後にカルボキシル基(-COOH)が形成されるので、当然1690cm-1の吸収が顕著になるから、XがCの塩であると同定することはできないし、また、このようなことが立証されたとしても、これは本件補正前の明細書の記載とは全く離れた技術内容であるから、これをもって明瞭でない記載の釈明として特許請求の範囲に加えることの正当性を裏付ける根拠とはなりえない。

このように、XがCの塩であるという被告の主張を裏付ける証拠は全く存在しない。

そして、所定の工程が付加された場合に付加前の場合と生成物が異なることは、当業者にとって自明のことであって、酸処理工程が含まれない工程と酸処理工程が付加された工程とは実質的に異なるというべきであるから、本件補正を実質上の特許請求の範囲の変更に当たらないとした審決の認定判断は誤りである。

(2)  取消事由2

審決は、次のとおり、引用例2の記載内容の認定を誤り、その結果、本件発明が本件出願前頒布された刊行物の記載事項の組合わせによって当業者が容易に発明することができたものではないとの誤った結論を導いたもので違法である。

すなわち、審決は、引用例2には、イサト酸無水物がイソシアネート構造を経て反応することを否定する趣旨の記載があるとして、引用例2の1217頁右欄反応式下6行ないし10行を引いている。しかしながら、引用例2の当該箇所の文章は、「イサト酸無水物及びトリエチルアミンのジオキサン溶液及びピリジン溶液中での-N=C=Oの存在を論証するための我々の同様な試みは、観察しうる程度までのその存在の証明は得られなかったとはいえ、我々はルート(b)では、イソシアネート種が重要な役割を果していると確信する。」と、イサト酸無水物が明らかにイソシアネートの形で作用することを示唆し、それに続く箇所では、そのように信じる根拠として「というのは、易動性の水素原子を有せず、無水物のアニオンを生成することができないN-メチルイサト酸無水物からは、ウレイド又はカルバメート誘導体が全く存在しないため」と記載されている。

審決は、この部分の記載をN-メチルイサト酸無水物はイソシアネート構造をとるがイサト酸無水物ではイソシアネート構造をとらないという意味に解釈しているが、この解釈は明らかに誤りである。すなわち、審決が指摘した箇所の前では、イサト酸無水物がイソシアネート構造を経てウレイド誘導体及びカルバメート誘導体を形成することが説明され、ウレイド誘導体やカルバメート誘導体を生成するためには、イサト酸無水物のN-位置に結合している水素原子が易動性で無水物アニオンを形成する必要があることが明らかにされているので、この文章に続く上記の箇所は、トリエチルアミンの存在下でもウレイド誘導体及びカルバメート誘導体を生成したということは、とりもなおさず中間的にイソシアネート構造がとられているとみて差支えないという意味に解すべきである。そして、それに対応するものとしてイサト酸無水物のN-メチル化合物を例に挙げ、このものは、N-位置に易動性の水素原子を有しないため上記の平衡式によることができず、ウレイド誘導体やカルバメート誘導体を全く生成しないと述べているのである。

このように、審決が指摘した箇所の文章は、トリエチルアミンの存在下でも、イサト酸無水物がイソシアネート構造をとってこれが他の化合物と反応することを教示しているから、審決の解釈は全く間違っている。

上記のとおり、引用例2の記載によりイサト酸無水物すなわちBが第三級アミンの存在下でイソシアネート構造をとって反応することが知られている以上、引用例3記載の反応を利用して第三級アミンの存在のもとでAとBとを反応させてCを製造する方法は、当業者が容易に行いうる程度のものというほかはなく、審決の判断は違法なものとして取り消されるべきである。

なお、この点に関し、被告らは、「N-メチルイサト酸無水物についてこれがイソシアネート構造をとる」とした審決の認定が誤っていたとしても、この事実誤認は、引用例2が本件発明の第一工程の反応を示唆しているとは認められないとした審決の結論には影響を与えない、と主張する。しかしながら、引用例2には、反応の経緯、類似反応との対比、反応生成物等種々の傍証に基づき、第三級アミンの存在下での反応においてイソシアネート種が重要な役割を果たしているとの確信が開示されている以上、当業者がこの確信に基いてイソシアネートを用いる反応においてイソシアネートの代わりに第三級アミンの存在下でイサト酸無水物を用いることは何らの困難性をも伴わずに想到しうることであり、被告らの主張は失当である。

第3  請求の原因の認否及び被告の主張

1  請求の原因1ないし4の事実は認める。

2  同5の審決の取消事由は争う。審決の認定、判断は正当であって、審決に原告主張の違法は存在しない。

(1)  取消事由1について

<1> 審決取消事由1の<1>について

審決は、審決における原告の主張理由(イ)についても検討を行っており、単に審決の一部(4頁2行ないし5行)をとらえてこの理由について全く検討を加えていないというのは間違いである。

すなわち、審決は、その前の部分(3頁16行ないし4頁1行)で、本件補正により特許請求の範囲を補正した点として、3、4ジメトキシ桂皮酸とイサト酸無水物を第三級アミンの存在下で反応させた反応工程の後に酸処理する工程を付加した点にあると認定している。そして、この酸処理する工程の付加は、本件補正前の製造方法を実質的に変更するものではないとの認定を行っている。

<2> 審決取消事由1の<2>及び<3>について

原告は、酸処理工程を含まない工程と含む工程とでは、実質上異なる、と主張するが、酸処理工程によって化合物が異なるものとなるときだけ意味をもつ主張であり、本件補正においては、酸処理工程という文言の付加があっただけで化合物が異なるわけではなく、実質上内容が異なるとはいえず、論理に間違いがある。

なお、甲第11号証の1ないし6にXがCの塩であることを示すことは示されている。すなわち、酸処理前の反応生成物の赤外吸収スペクトル(甲第11号証の1及び4)は、熱処理後の粗結晶の赤外吸収スペクトル(甲第11号証の2及び5)さらにその後の精製結晶の赤外吸収スペクトル(甲第11号証の3及び6)との間にはそのパターンに大きな差異が認められない。

また、原告は、周知例の記載を理由に、酸処理前の反応生成物はベンゾオキサジン-4-オン誘導体である可能性も十分考えられると主張しているが、周知例には、そのような可能性を窺わせる記載は存在しない。周知例に記載されているのは、第三級アミン存在下のイサト酸無水物とアルシ化剤との反応である。アシル化剤としての塩化シンナモイルと本件発明における3、4ジメトキシ桂皮酸とを同列視することはできない。

本件発明の製造方法における酸処理前ではN-(3、4ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸の塩以外の化合物が生成する可能性があるとする原告の主張の論拠である、周知例の記載によっては、その生成の可能性すらも立証することができず、原告の主張は根拠がない。もっとも、被告は、既に酸処理前後の反応生成物について赤外線吸収スペクトルのよい一致を立証している。

(2)  取消事由2について

引用例2は、本件発明の第一工程の反応条件、すなわち3、4ジメトキシ桂皮酸とイサト酸無水物とを第三級アミン存在下で反応させる条件下でイサト酸無水物がイソシアネート構造をとり得るかということについては、何も示していない。引用例2には、イサト酸無水物が2-イソシアネート安息香酸として挙動するのは、アミン類及びNa・メトキシド(ナトリウムのメトキシド)存在下である点しか示されておらず、この引用例2記載の反応条件は本件発明の反応条件とは明らかに異なる。

したがって、審決の認定判断に誤りはない。

また、仮に「N-メチルイサト酸無水物についてこれがイソシアネート構造をとる」とした審決の認定が誤っていたとしても、この事実誤認は、引用例2が本件発明の第一工程の反応を示唆しているとは認められないとした審決の認定判断には、影響を与えないというべきである。

第4  証拠関係

本件記録中の証拠目録の記載を引用する(後記理由中において引用する書証はいずれも成立に争いがない。)。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本件補正前の本件発明の特許請求の範囲)、同3(本件補正後の本件発明の特許請求の範囲)及び同4(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。

2  甲第2号証によれば、本件補正前の本件明細書には、本件発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。

(1)  本件発明は、抗アレルギー剤としてすぐれた治療効果を有するN-(3、4ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸の製造方法に関する(昭和60年特許出願公告第56701号公報2欄1行ないし4行)。

本化合物の製造方法として多くの方法が知られていた。もっとも汎く行われている方法は、3、4ジメトキシ桂皮酸を反応誘導体に変換した後これとアントラニル酸とを縮合させるものであるが、この製造方法では副生物が生じるため目的生成物の収率が低く、精製工程が煩雑となるうえ、反応性誘導体の用い方によっては塩化水素ガスを発生するため、取扱いが難しく経済的にも不利であった。このような副生物の生成を抑えて収率よく目的生成物を得る方法も考えられている。しかし、これらも、工程数が多くなるという不都合、出発原料が非常に高価であるという経済的不都合、取扱いが煩雑となる不都合があった。また、収率よく、さらに一段階の反応で目的生成物を得る方法も考えられているが、いずれも原料化合物が高価で入手困難であり、その製造も容易ではないという不都合があった。

本件発明は、以上のような不都合に鑑み、取扱い困難な有毒物質を用いず、取扱い容易な一段階の反応で安価な原料化合物からN-(3、4ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸を収率よく製造する方法を提供すること(同2欄6行ないし3欄23行)を技術的課題(目的)とするものである。

(2)  本件発明は、前記技術的課題を解決するために前記本件補正前の本件発明の特許請求の範囲記載の構成(同1欄2行ないし20行)を採用した。

(3)  本件発明は、前記構成により、前記欠点のない、かつ、安価な出発原料により一段階で収率よく目的生成物を得ることができ、また有害な化合物は何ら関与せず取扱いが容易になる(同5欄2行ないし6欄4行)という作用効果を奏するものである。

3  甲第2号証、第3号証と前記争いのない事実によれば、本件補正は、本件補正前の本件発明の特許請求の範囲(事実欄請求の原因2の記載のとおり)に記載された事項のうち「反応させること」を「反応させた後、酸処理する」に改め、この訂正に伴う若干の訂正と明白な誤記の訂正をするものであることが認められる。

4  審決が「(Ⅰ)本件発明の要旨」において原告の主張<1>に対してした認定判断(ただし、結論の部分を除く。)及び原告の主張<2>に対してした認定判断のうち周知例の記載内容に関する部分は争いがなく、また、引用例1ないし引用例3に審決認定の技術内容が記載されていること並びに本件発明と引用例1記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであることも当事者間に争いがない。

5  取消事由1の主張について

(1)  取消事由1の<1>の主張について

前記争いのない事実によれば、審決は、「本件補正による特許請求の範囲の補正は、本件補正前の、『3、4-ジメトキシ桂皮酸とイサト酸無水物を第三級アミンの存在下で反応させ』(中略)の反応工程の後に、『酸処理する』工程を付加した点にある。」と認定したうえ、「前記補正書に付加された同第一工程に続く『酸処理する』工程は、(中略)その工程の付加により、本件補正前の製造方法を実質的に変更するものではな」い、と判断していることが明らかである。

そうすると、審決は、原告が取消事由1の<1>中で指摘する理由(イ)についても判断をしたことが認められ、審決には、この点に関する判断遺脱はないというほかはない。

(2)  取消事由1の<2>の主張について

仮に、前記化合物Xと前記化合物C、すなわちN-(3、4ジメトキシシンナモイル)アントラニル酸とが別異の物質であるとすれば、本件補正前における本件発明の特許請求の範囲に記載された製造方法ではCが得られないこととなり、本件発明が実施不能であるとの原告の主張の当否を検討する必要がある。

そこで、酸処理前の反応生成物Xが目的生成物Cと別異の物質であるか否かについて検討する。

甲第1号証、第11号証の1ないし7と弁論の全趣旨によれば、同号証の1ないし7は、被告らが審判手続において証拠として提出したものであるが、いずれも赤外吸収スペクトルに関するもので、同号証の1は、本件明細書の実施例1の酸処理前の濃縮乾固物の赤外吸収スペクトル図、同号証の2は、同実施例1の酸処理後の粗結晶の赤外吸収スペクトル図、同号証の3は、同実施例1の酸処理後の精製結晶の赤外吸収スペクトル図、同号証の4は、同実施例2の酸処理前の濃縮乾固物の赤外吸収スペクトル図、同号証の5は、同実施例2の酸処理後の粗結晶の赤外吸収スペクトル図、同号証の6は、同実施例2の酸処理後の精製結晶の赤外吸収スペクトル図、同号証の7は、市販のリザベンの精製品の赤外吸収スペクトル図であることが、認められる。

これら甲第11号証の1ないし7により化合物Xが化合物Cの塩であるか否かを判断するには、酸処理前の生成物の赤外吸収スペクトルと酸処理後の生成物の赤外吸収スペクトルとを対比検討すればよいことは、技術上自明である。

そうすると、上記実施例1については、甲第11号証の1のものと同号証の2、3のものとを、上記実施例2については、同号証の4のものと同号証の5、6のものとを対比検討することとなるが、それぞれを精査して詳細に対比してみても、上記実施例1及び実施例2のそれぞれにおいても、二つのグループの間で赤外吸収スペクトルのパターンに大きな差がないことが認められる(なお、甲第11号証の1と同号証の2は、ほぼ同じパターンを示すというほかはないのに対し、  らと同号証の3とは完全に一致してはおらず、同号 同号証の6との間でも同様のことが言える 製度の差に由来すると説明すること 問題とすべきことではないと判断され

ところで、化合物Cでなくベンゾオキサジン化合物とを対比すると、両者はその化学構造式からみても全く別種の化合物であるので、仮に原告の主張するように化合物Xが化合物Cでなくベンゾオキサジン化合物であるとすると、両者の赤外線吸収スペクトルは全く異なるパターンを形成するはずであることは、技術常識に照らして明らかであるから、上記のとおり、上記実施例1及び実施例2のいずれにおいても酸処理前のものと酸処理後のものとで赤外線吸収スペクトルがほぼ同一である以上、この原告の主張は採用し難いというべきである。

そのうえ、甲第11号証の3、6、7によれば、上記実施例1及び実施例2で製造された目的物を精製したもの(甲第11号証の3、6)と実際の化合物Cと目すべき市販のリザベンの赤外線吸収スペクトルはほぼ一致していることが認められ、この事実に以上で検討した結果をあわせれば、ゆうに化合物Xは化合物Cの塩であってCはXの遊離酸である、と認定することができる。

なお、原告は、周知例の記載により、ベンゾオキサジン-4-オン誘導体の生成を積極的に示そうとするものでなく、単にAとBとを第三級アミンの存在下で反応させた場合にCの塩以外の化合物が生成する可能性があることを示そうとしているにすぎないことは、原告の主張に徴して明らかであるから、周知例の記載内容により上記認定を左右することはできない。

以上によれば、本件補正前の本件発明によって得られるものは、化合物Cの塩であって、目的生成物Cと別異の物質であるということはできない。

もっとも、甲第2号証を検討しても、本件補正前の特許請求の範囲記載の化合物Cが塩の形で存在することの記載はない。しかし、弁論の全趣旨及び技術常識に照らせば、酸処理工程は、塩の形で存在する化合物を酸に変換する事後処理として化学方法において適宜行われる所望の慣用手段であると認められるところ、甲第2号証によれば、本件補正前の明細書には、発明の詳細な説明の項に、反応後「反応液を水中に注入し酸性とすることにより粗結晶として目的物を得ることが出来る。」(前記公報4欄18行ないし20行)と記載されていることが認められるから、当業者であれば、出願公告時の特許請求の範囲記載の製造方法に酸処理することについての記載がなくとも、第一工程により得られる目的化合物の塩を酸処理することにより同塩を遊離酸として本件発明の目的化合物を得ることは理解し得ることであり、この点を明瞭にするため、本件補正がなされたものと認められるから、取消事由1の<2>の主張は、失当というべきである。

(3)  取消事由1の<3>の主張について

上記(2)において検討したところによれば、化合物Xは化合物Cの塩であって、審決のいわゆる第一工程の生成物は本件発明の目的化合物の塩であるといわなければならず、この工程に続く慣用手段である酸処理の工程を付加することによりその塩Xから遊離酸として目的化合物Cを得られることが、明らかにされている。

なお、原告は、所定の工程が付加された場合に付加前の場合と生成物が異なることは、当業者にとって自明のことである、と主張するが、その工程の性質によって決せられる事柄であり、本件においては、上記のとおり、化合物Xは化合物Cの塩でCはXの遊離酸であるという関係に立ち、酸処理の工程は慣用手段というべきであるから、実質的に生成物は異ならないといわざるをえず、この主張は失当である。

したがって、本件補正により付加された酸処理する工程は目的化合物の塩を遊離酸とするものであると認め、その工程を付加することは本件補正前の製造方法を変更するものではなく、不明瞭な記載の釈明にすぎない、とした審決の認定判断には何らの誤りもなく、この点に関する取消事由1の<3>の主張は理由がない、というべきである。

6  取消事由2について

甲第4号証によれば、原告が指摘する引用例2の当該箇所には、別紙第二のとおりの記載(1217頁左欄図表Ⅲ下1行ないし右欄反応式下21行)があることが認められる。

この記載をさらに詳細に検討すると、「Kopple10は-N=C=Oの特性赤外吸収の形で、第一級アミノ酸N-カルボキシ無水物とアミン類及びナトリウムメトキシドとからウレイド及びカルバメート誘導体を形成させる反応中における中間体イソシアネートの生成を確認した。」との記載が含まれているから、イサト酸無水物が2-イソシアナト安息香酸として挙動できるのは、イサト酸無水物及びアミン類の外に、ナトリウムメトキシドが存在することが必要であることが明らかである。このことは、上記記載の次に「イサト酸無水物及びトリエチルアミンのジオキサン及びピリジン溶液中に-N=C=Oの存在することを立証しようとする我々の同様な試みは、観察しうる程度にはその存在を証明できなかった」との記載からも裏付けられるということができる。

なお、この点について、原告は、引用例2には、第三級アミンをナトリウムメトキシドと併用しない場合、すなわち本件発明の第一工程と同じ条件下でもイサト酸無水物がイソシアネートの形で反応することが示されている、と主張する。甲第4号証によれば、引用例2には、別紙第三の記載(1218頁左欄8行から反応式まで)もあることが認められ、確かに、この中にはナトリウムメトキシドを併用しない求核反応について説明する記載が含まれている。

しかし、ここに記載されているのは、その反応式から明らかなように、無水イサト酸とRNH2(すなわち、第一級アミン又はアンモニア)との反応であり、本件発明の第一工程の反応条件で使用された第三級アミンは示されておらず、反応式においてアミン類としてRNH2が記載されているのみである。RNH2は上記の定義から明らかなとおり、アンモニア又は第一級アミンを意味し、第二級アミン又は第三級アミンは含まれていない。したがって、この原告の主張は採用することができない。

以上を要するに、引用例2の記載から明らかなことは、イサト酸無水物と第三級アミンとの反応においては、ナトリウムメトキシドの存在下ではイソシアネートが確認できたのに対し、ナトリウムメトキシドの非存在下ではイソシアネートが確認できなかったという点のみであり、引用例2には本件発明と同一条件下ではイソシアネート構造が確認できなかったことが明記されているというべきである。したがって、本件発明の反応がイソシアネート構造をとることを前提として引用例3記載の酸アミド生成反応であるとする原告の主張は理由がないというほかはない。

そうすると、上記の点に関し、本件発明における第三級アミンの存在下でイソシアネート構造をとりうるかについて否定的に記載されていると認定したうえ、本件発明は引用例1の記載事項に引用例2及び引用例3の記載事項を組み合わせることによって当業者が容易に発明することができたものではないとした審決の認定判断は正当というべきである。

7  よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)

別紙第一

<省略>

別紙第二

イサト酸無水物のイオン化とそれに続く無水物環の開裂は、通常の低反応性条件下で重要な役割を果たしており、そしてかさ高な基によって攻撃され、ウレイド又はカルバメート誘導体を与える中間体イソシアネートを生成する。

<省略>

Kopple10は、-N=C=Oの特性赤外吸収の形で、第一級アミノ酸N-カルボキシ無水物とアミン類及びナトリウムメトキシドとからウレイド及びカルバメート誘導体を形成させる反応中における中間体イソシアネートの生成を確認した。イサト酸無水物及びトリエチルアミンのジオキサン及びピリジン溶液中に-N=C=Oの存在することを立証しようとする我々の同様な試みは、観察しうる程度にはその存在を証明できなかったが、経路(b)ではイソシアナート種が重要であると確信する。というのは、易動性の水素原子を有せず、無水物のアニオンを生成することができないN-メチルイサト酸無水物からは、ウレイド又はカルバメート誘導体が全く存在しないためである。KoppleはグリシンのN-カルボキシ無水物中の相当する水素原子をメチル基で置換するとウレイド又はカルバメート誘導体の形成が妨げられることを見出した。どちらの場合も隣接するメチル基によるカルボニルの障害は他のカルボニルへの直接的な攻撃を助長する。

別紙第三

この反応の経路に影響を与えるもう1つの因子は、求核試薬の濃度である。アンモニア及びアミン類については、イサト酸無水物とのモル比が1:1の場合にほとんど例外なく経路(a)によってアントラニルアミドが製造され、また同容量の溶液中でイサト酸無水物に対するアンモニアのモル比を大きくすると、経路(b)がより重要な意義をもつことになることが示されていた。3、4このことにより、アンモニア及びアミン類に対しては、次式によって示されるイサト酸無水物と相当するイソシアナトアニオンとの平衡混合物から経路(b)が進行することが示唆された。

<省略>

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